|
バクトリアンダンス
ファントム 山は山であり河は河であり 草は草でしかなく風も風でしかないのに (どうだろう?この天国的な狂想曲!) まるで生まれて初めて眺める景色 人は人であり空の空でしかなく 不思議なものなんて有りはしないのに (これじゃあ酔っ払っているとしか言い様がない) それでもすべてが変なのだ どういうふうにかというと困るけれど とにかくすべてがみんな可笑しな具合い (いや 実を言えば今までそれらを平気で見ていられたのは ただ見馴れていたからに過ぎない訳で その証拠に 象だの驢馬だの駱駝だのじっとしばらく眺めていたら ずいぶん変な気分になってくる 宇宙の冗談としか言い様がない 山は今ある姿のままで物凄く奇怪な現象だ) もうあなたも解っているのでしょう? ここでは極く普通のリアリティーがファントム然としているのです (これはちょっとした空気のトリックのたぐい) (ここってどこのこと?) (それはここでもありそこでもあり あらゆる処のことさ つまりこれは半永久的にあらゆる領域に敷衍される原理です) バクトリアンダンス あなたにもこんな体験はないでしょうか? あるひとつの動作から次の動作に移る時 (例えば不意にくるりと振り向く時や 何かをやり始めようとした途端) ふと意識が途切れてしまうことが... (いや厳密に観察してみれば 気づいていようといなかろうと これはいつでもどこでも誰にでも起こっている) それは一瞬のトランスです または突然の地滑りのような落下感覚です 映画のフィルムの一コマ一コマが 黒いラインで無惨にも切断されているように 脳内でアルカロイドが形成される dizzy dizzy... エアポケットに突入したエアクラフト これは 滔々と流れている事象の脈絡から 一瞬こぼれ落ちることの快楽です (その一瞬が何日続こうと構わないではないか?) また それを痴呆化現象と呼べないこともない 何故かと言えばその時ヒトは 世界がどうなっているのか見当がつかないのですから いや 世界それ自体を触知することができないのです この私が誰だったかさえ覚えていません (何を言うか?白状しなさい 一体全体 確かなものなどあるのだろうか? こんなあふれるような蒸気にとりまかれて 何ひとつとして定かなものはありません) この不可解な意識喪失があなたの華麗なる舞踏中に起こる時 それをバクトリアンダンスと呼ぶのです (ああ... 翅のように軽く マシュマロのように甘いあなたよ!) 彼女のすべて (もしそんなものが在るとするならば) 彼女のすべてを抱擁し 無言で優しく受け入れて もう何があろうとも どんな事が起ころうとも 宥してやれるというのであれば きっと彼女という神秘の全貌が 少なくともその幾許かが 僕の驚異に満ちた眼前に啓示されるだろうと思ったけれど 豈に図らんや... 彼女はいつまでも厳然たる神秘であり 謎はいつまでも謎であり それ以上に これは予想だにしなかったのだが 彼女のすべてなるものが存在しないことが発覚したのだ! これで全部だろうと思った途端にいつも何かがこぼれ落ち 僕の虚しく宙に開かれた掌より滑り落ち その境界線の向う側に未だ知られざるものが悠然と漂っているのだ で 結局のところ彼女の全体像は未だ朧ろであり 彼女が果たして誰なのか... その消息については今尚謎なのだ 絶えず新しいものがふつふつと生まれ続ける 彼女という名の宇宙の神秘... これが僕に極私的宇宙膨張説を書かせた本当の経緯(いきさつ) アレフの気持ち 一体どこへ行こうというのか判らない... どこへ行くのか判らないから出かけてみたくもなるのです どこへ行くのか判らないからこそこんなに興奮もするのです 恰もどこへも辿り着きたくなどないかのように 決してどこへも行きたくなどないかのように... (それでも尚歩いてゆくところをみれば そこには異質の次元における運動なり経緯なりがあるようだ) (時間の内部を歩いているとも言えるのさ) (ふむ 時間なんてものは時代遅れのキャプションだな あいつは信頼のおけないやくざな野郎さ) (それでは一体どこを歩いているのだろう?) (それが判ればはなっから出かけはしないよ) (まあ そういうことだろう) (然し周りの景色は刻々と変化してゆく その変化が絶妙に美味しいのさ それで この背骨を真青に震わすわななきにすべてを賭けても構わない! なんてセンチメンタルな奴なら言いそうだな)... 当のアレフときたらそんな他愛ないお喋りになど関心が無いように というより聞こえてないのかも知れないが そのどこへ行くのか判らないということに ワクワクしたりゾクゾクしたりしながら いたって無頓着に鷹揚に そして暢気にすこぶる愉快に 口元にはかすかに微笑みさえ浮かべながら あの曖昧なモナリザスマイル もうずいぶん先の方までずんずん歩いて行ってしまって すでに地平線の彼方に消えかかっている... 正確に言えば 事象の地平線にひっかかった映像のように いつまでも消えかかった姿でそこに貼りついている... (アレフの気持ちこそ全く判らない) オクタビオの彗星化 (その時彼がね...) (え?彼だって?) (だからさ その時彼がやって来たんだ) (不戯化たことを言っちゃいけない 彼なんてキャプションはもう流行遅れさ) (じゃあ何て呼べばいいのさ?) (これからは彼等と呼ぶべきだね) (一体どういう訳なんだ?) (理由は簡単至極 つまりオクタビオは単一体としての存在を放棄して 星雲状の存在形態を採ることにしたんだ 何故かって? オクタビオとして一つにまとまるには あまりにも種々多様な声が彼の中にあるのを発見したんだ お互いに全く異質のスペースが彼の内側にあるのに気づいたのさ それに新しく生まれつつある奴もいるし 存在に疲弊し中性子星の如く忘却の彼方へと睡りにつく奴もいる その現実を無視して統制を取りオクタビオとして結晶化するのは あまりにも無謀なことだと感じた訳さ その一つ一つの声に自由を与えてやろうという彼流の配慮の表れさ) (そうするとこれからは色々厄介になりそうだな) (そればかりじゃない オクタビオがオクタビオであることを止めたと同時に 今度は オクタビオと非オクタビオの境界線もあやふやになってしまったんだ つまりもうどれがオクタビオに属するもので どれがラスチノフのものなのか 判断する決め手が無いという訳さ) (それではこの界隈に混乱とカオスが生じるだろう) (その通りだ 見給え! 君の台詞と僕の台詞のどこに違いがあると言うんだい? 君は本当にそれが自分のもので外の誰にも属するものではないと おめでたく宣言できるだろうか?) (そう言われると自信がないな) (だろう? それにこの混沌は決して不愉快なものでもないんだ ここから全く新しい銀河が生まれるかもしれないし もし現状のままだとしても...僕にとっちゃそっちの方が面白いが なんでそれが問題であるものか? 僕が僕として結晶化するには知られざる多大な努力を要してきた訳で その努力が最早必要でなくなるというのなら 僕なんか喜んでこの空中遊泳の醍醐味を満喫したいところだ) (僕じゃなくて僕等だろう?) (ははは...一本取られたな) マダム・フロランスの彗星化 或る朝目が覚めるとフロランスは何かいつもと様子が違うのに気がついた (あら 私の腕ってこんなに長かったかしら? ベッドに寝そべったままで中庭のマロニエの樹に触れるなんて 変ね?伸縮自在の腕みたいだわ いやあね あそこの鏡の上の蜜蜂があんまり忙しく動くから 私のお腹までくすぐったくなってきたじゃないの あの子の考えていることは解っているのよ 早く起き出してレモネードの準備でもして頂戴ってことだわ 本当にあの子ときたら甘いものに目がないんだから それにあのソファーの何て意地悪なこと 昨夜の情事の一部始終を見ていたんですものね それが不首尾に終わって愛人に去られた私のことを嘲笑っているんだわ 御覧なさい あなたがあんまり笑うから もう向うの梢に留まっている小鳥達までが噂していてよ) そう言いながら重たい瞼を上げてクッションに凭れかかると 心地良い微風が彼女の全身に浸透してゆくのだった (ああ なんて気持ちがいいの 風の粒子の一粒一粒が私の身体を蕩けさせるわ) 然し明るい窓辺に腰掛けて彼女が熱い紅茶で喉を潤しているうちに 早くもガウンの裾やピンク色の肌が朝の陽光に透き徹されて すでに或る部分は靄状になり消えかかっているのを フロランスはまだ知る由もなかった マリオンのネオン化 (その部屋というのが凄かった まるでそこに在るものすべてを吹き上げてしまうような 絶えざる上昇気流のようだったよ 頭の芯が痺れるようだった あらゆるものが何ものかの引力によって 限りなく上方へ引っ張られるのだ そこにしばらく立っていたら 一体どんな由々しき大事が起こるのか 期待と共に戦慄さえ感じる程だった! いや 限りない快楽の予感に慄いていたと言った方が良い 別にこれといって特別な物が在った訳ではない むしろ呆れる程にシンプルな部屋なのだけれど 問題はあたりに漂っている空気の質にある 一つ一つの分子が確かに上方へ向かって 光速度で動いているのが感じられた それにその分子ときたらネオンのように煌めいていたのだ 放射性物質のようだったよ 蒸気と化して風に飛ばされそうだった まるで熾烈な火炎によって燃やされて 何か訳の解らないものへと変貌してしまいそうだった 怖ろしいくらいに殺気立っていたとも言えるし そのくせすべては大変静かで和やかでもあったのだ あれはもう部屋なんてものじゃない むしろ異次元へと飛翔するスペースシップだ サイボーグか何かを造り出す秘密のラボラトリーだ) (それでその奇妙な部屋だか何だかに マリオンがたった一人で入って行ったと言うんだね?) (そうさ 一昨日の午後のことだ) (以来 彼の姿はどこを探しても見つからないと) (つまりはそういうことなのだ)... マリオンのその後の消息については未だに誰も知らない シェランドンのブレックファースト (トーストにバター それからミルク入りの紅茶という訳か あまりにシンプルでまさしく元素的だな) そんな意地悪いナレーターの誘惑的なコメントには微動だにせず シェランドンは傍目もふらずに黙してパンを食べている テーブルの上にも彼のセーターの背中にも 朝の太陽が暖かく挨拶している そのほのかな熱と光子のシャワーを全身で浴びながらも彼は (ああ 気持ちがいい)とか (なんて素敵な朝だろう)とか ドラマチックなことは一際口にしないのだ いや そんなことは考えてもみないのだ (勿論 素敵な朝には違いないのだけれど) ただ太陽が眩しく照っていて それが彼の背中を暖め ミルク入りの紅茶がまだ少し眠たい身体に浸透してゆくのを 感じていさえすれば彼はもう心から満足なのだ そしてバターつきトーストが唇に触れ 舌がそれを味覚に翻訳し 喉を通って胃の中へ送られていくのを知っているだけで もう充分過ぎるくらいなのだ いったい幾万回繰り返したのか分からないこの単純な動作が 今日はとても新鮮で 恰も とある惑星の上で取っている朝食のようだ 芳ばしいパンの焼け具合と 蕩けるバターが彼を至福で満たし ミルク入りの紅茶の甘さが彼の細胞を恍惚りさせる それでも(あゝ)なんて嘆め息はつかない程クールな奴さ こうして彼はとある惑星上のブレックファーストを これから幾万回となく取ることになる (もし彼の気持ちが突然変わって 生まれ故郷の遠い星へ昇天したりなどしなければね) リュシオンのやって来た日 リュシオンのやって来た日は ハレルヤ ハレルヤ! もう薔薇色のシャンペンの泡のように笑い転げて 仮装舞踏会の道化師のように跳ね回り 酔っ払ってしまうより外に術はありませんでした ダイアモンドでできた空中ブランコに飛び乗って あの黄金色の眩暈の中にとろけてしまうより外に 本当に為す術はありませんでした ヘリウムより軽く プラチナより眩く フェアリーテールから脱け出して来たばかりのような 彗星の足の裏を持つリュシオンのやって来た日は もうレインボーカラーの気球に乗って 青い地球を7回転半するより 気の利いたことはないようでした 惚れ惚れする白馬のギャロップで そこら中を見境なく駆け巡るより外に できることはないようでした バニラクリームの上のハネムーンのように のぼせ上がった気違い沙汰のパフォーマンスを披露するより ましなことは到底できそうにもありませんでした いまわ臨終の際の白鳥のように 陽気なレクイエムを空いっぱい歌うより外に 本当に為す術はありませんでした... (それでリュシオンって誰だったの?) (知らないよ) |
|